2011年3月2日水曜日

生きたウイルスが抗がん剤を運ぶ

飛躍明日への処方箋(4)希望も運ぶナノテクDDS

極小のカプセルが次々とがん細胞の中に運ばれると、プチプチと破裂し、薬を放出していた。

「予想以上だ。これなら新薬になる」。東京大学の片岡一則教授(マテリアル工学)は昨年、のぞき込んだ顕微鏡画面で、自ら作ったカプセルの働きを目の当たりにした。

抗がん剤を包むカプセル。大きさは10ナノメートル~100ナノメートル(1ナノメートルは100万分の1ミリ)という小ささだ。肉眼では見えない。

片岡教授は、医療の専門家ではない。だが、日本が世界に誇るナノテクノロジーを創薬に応用することで、医療を進歩させようとしているのだ。

がん細胞は増殖が早い。増殖するがん細胞の周囲では、血管の形成が追いつかず、小さな隙間がある未発達な血管になっている」という。わずか数百ナノメートルという血液すら通さぬ隙間だが、ナノカプセルならば楽々、通過できる。

つまり、ナノカプセルに入れた抗がん剤を血管内に入れれば、がん細胞の近くでのみ、薬が血管から細胞に漏れ出すのだ。

正常な細胞に薬が行くことはなく、がん細胞だけを攻撃するので副作用が少なくなる。これまで副作用が強くて使えなかった有効成分も新薬として使えるかもしれない」。片岡教授はそう話す。

狙った場所に、必要な量の薬を必要な時間だけ届ける-。片岡教授のこうした研究は、ドラッグ・デリバリー・システム(DDS)と呼ばれる。

薬などの異物が体内に入ると、人の体では異物を排除しようとさまざまな免疫作用が働き、せっかくの有効成分が壊されてしまうことがある。患部とは無関係 の部位に薬が行けば、深刻な副作用につながりかねない。DDSは有効成分を免疫作用から守り、患部に直接届けることを助ける技術なのだ。

新薬開発では、年間数十兆円を売り上げるような欧米の巨大企業が、莫大(ばくだい)な開発費を背景に世界をリードしている。資金力に劣る国内企業は後塵 (こうじん)を拝しているのが実情だ。しかし、DDSは薬を改良する技術のため、開発費は少なくて済む。日本が誇る技術力やアイデアにより、飛躍が期待で きる分野なのだ。

実用化されているDDSもある。代表例が前立腺がんなどに使われるホルモン剤「リュープリン」(武田薬品工業)。この薬のDDSの特長は「時間差」だ。

薬の成分は、同薬が発売される20年前には見つかっていた。ただ、毎日の注射が必要なことがネックとなり、平成4年まで国内では発売されずにいた。

武田は有効成分を体内で溶ける成分と混ぜて0・02ミリの粒に固形化した。粒は3カ月かけて少しずつ溶けながら有効成分を放出する。3カ月に1回の注射で済むようになった。

「成分の効果は分かっていたので、待ちに待った薬だった」。東京厚生年金病院泌尿器科の赤倉功一郎部長は振り返る。

生きたウイルスを“運び屋”として利用する研究も進められている。

バイオベンチャー「ディナベック」(つくば市)は、人に害をもたらさないとされるセンダイウイルスをDDSとして使い、日本発のエイズウイルス(HIV)を予防するワクチンの製品化を目指している。

「ウイルスは生物の細胞に効率良く入り増殖する性質を持っている。それを利用しない手はない」(長谷川護社長)という発想だ。

センダイウイルスの中に、HIV遺伝子の一部を入れて体内に注射すると、ウイルスがその力を発揮して細胞内に侵入。その結果、体内でHIVへの免疫が作られ、本物のウイルスが入ってきたときの発症が予防できるのだという。

日本が得意とする緻密、精密な技術力を駆使したDDS。その開発には、日本の創薬の牽引(けんいん)役になることだけでなく、一人でも多くの患者に希望を運ぶことへの期待が込められている。

2011年3月2日 産経新聞